★週刊文春「中吊り謝罪記事」に踊る「大いなる反省と謝罪」は信じ難い

今日発売、週刊文春2005年4月28日号44ページ「検証 文京区幼女殺害事件 『報道被害』を考える」。
「ご遺族の名誉回復のために その手記と検証記事を謝罪の意をこめて掲載致します。」「本記事は裁判所における和解に基づくものです」とある。

新聞各紙でも大きく報道されたが、2ページを使って文春が、被害幼女の母親の名誉回復のため謝罪する、という記事。電車の中吊りにも謝罪の言葉が載るのは異例である。

前文。


 平成11年11月22日に発生した文京区幼女殺害事件については、あたかも被害者のお母様にも原因があるかのような報道が大きくなされましたが、被害者のお母様には全く責任はなく、被告人の一方的な思い込みによるものでした。小誌は、著しい報道被害に遭われた被害幼女のお祖父様に、その渦中での思いを綴って頂いた文章を掲載することといたしましたので、後段の「記事の検証」とあわせてお読み下さい。

以下、被害幼女(若山春奈ちゃん、当時2歳)の祖父、松村恒夫氏の長文の手記が続く。犯人(山田みつ子、懲役15年確定)判明直後から、松村氏の娘が山田をいじめていた、など事実無根の記事を文春など数誌に報道され続け、全国の人から電話や手紙などで誹謗中傷された。裁判で山田は事件の動機を話さなかったが、「一方的な思い込みによる犯罪」と認定され、有罪に。

報道内容が一番悪質で、影響力も大きかった文春に、人々の目に入らない謝罪広告ではなく、今回の手記と和解に基づく検証記事を掲載することは「名誉回復のための有効な方法として一歩前進だと思います」と。
以下、「記事の検証」。


この事件の報道をめぐり、被害者ご遺族は小誌ほか三誌の記事を提訴した。小誌以外の雑誌では、記事に対するお詫びを掲載すると同時に、新聞広告にもお詫びの存在を示す告知を掲載することで裁判所において被害者側と和解した。が、小誌としては、事件報道の社会に与えた大きな影響を考えたとき、単なるお詫びよりも、この事件の渦中での被害者ご遺族の思いを小誌に掲載することでご遺族の名誉を回復できないか、と提案した。むろん、小誌への批判も含まれることになろうが、これをきっかけに、犯罪報道のありかたについて自らを戒めたいと考えたからである。

小誌を含め多くの報道は、被害者の母親にも責任の一端があるかのような記述をした。しかし、捜査の進展と刑事裁判の記録を検証すれば、刑事裁判の判決にも「被害者の母親には全く責任はなく、加害者の一方的な思い込みであった」ことが記されているように、そのような事実は認められなかった。また、この手記にもあるように、報道の影響を受けた多くの人々の視線が愛児を亡くした両親らに耐え難い苦痛を与えたことは察するにあまりある。
お祖父様の文章の掲載を契機に事件報道のありかたに更に検討を深め、被害者ご遺族に与えてしまった苦痛に対し、大いなる反省と謝罪の気持ちを表したい。(編集部)

2004年8月26日発売、週刊文春9月2日号では、文春の事実無根記事によって自殺した、大学教授の遺族が起こしていた裁判で、裁判所の命令により「故賀川光夫別府大学名誉教授に対する謝罪文」というのを掲載している。

しかし同号では「最高裁『謝罪広告掲載命令』先進国では日本だけ」という3ページに渡る反論記事も掲載。「小誌は、改めるべきは改め、謝罪すべきときは謝罪する」と述べ、最高裁による「謝罪広告」掲載命令が、先進国では認められていない「非国際的」な命令である、と主張。翌週発売の「読売ウィークリー」で、賀川教授の遺族が「呆れて怒る気にもならない」と言っていた。

今回の記事も、編集部のリライト入りまくり?の手記や「検証記事」にも、ホントに謝罪の気持ちがあるのか?と疑いたくなる。

検証するなら、文春の記事のどの部分が事実無根なのか、被害者側の手記ではなく自ら明かすべきだし、また記事の結びが(編集部)となっているが、編集長や記者の実名を入れて詫びるのが筋ではないのか。誰も責任を取りたくないのでは。

先日文春が報道した「武富士から裏金をもらった」朝日新聞の肩を持つ気はサラサラないが、こんな週刊文春編集部に「朝日の社長は責任を取って辞任せよ!」などと言われたかねーよ、という感じがする。

雑誌は新聞のチェック機関として機能しているが、暴走する雑誌をチェックするのは、同じ雑誌では同業者意識がありできない。今回の「文春謝罪」も、他誌はまず取り上げないだろう。チェックできるのは新聞しかない。
今回の記事について、文春の公式コメントだけでなく、文春関係者や他の出版社の反応など、マスコミ業界の反応をぜひ聞いてみたいものだ。

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