★「はなまる」に出ていた荻野目洋子を見て色々思い出す

今朝の日テレ「ザ!情報ツウ」のゲストは華原朋美だったが、終了後チャンネルをTBS「はなまるマーケット」に変えると、荻野目洋子が出ていた。アイドル時代と変わらない薄化粧で、ママになってもかわいらしい荻野目ちゃんだが、目の下のクマに”37歳”を感じた。

今日発売のミニアルバムの宣伝。元プロテニスプレーヤーの夫(堀越高校時代の同級生)や子供の話のほかに、アイドル歌手時代の話も。荻野目は1985年の大ヒット曲「ダンシング・ヒーロー」がデビュー曲?と思っている人が多い、と薬丸裕英

バーニングから枝分かれした事務所、ライジングプロダクション(現・ヴィジョンファクトリー)のタレント第1号で、84年にデビューしたときは、社長と一緒に全国を回ったそうだ。懐かしい「ザ・ベストテン」出演時(ダンシング・ヒーロー)の映像も。大量の紙吹雪が舞う映像を見て、「収録だったら絶対止めてますよね」と薬丸。

荻野目は、小学生のときに一度グループで歌手デビューしているが、83年、中学生のときにアニメ「みゆき」の声優を務めて一般的に知られるように。84年、「未来航海」でアイドル歌手としてデビューするが、翌年末の洋楽カバー曲「ダンシング・ヒーロー」まではさっぱり売れず。

同期の森口博子らとともにB級アイドル扱いだった。パンチラ必至の衣裳で歌う姿がけなげ。東京・よみうりランドEASTで行なわれたライブでは、歌っている途中にミニスカのファスナーが壊れるハプニング。そのときの”パンモロ”写真は、当時の投稿写真雑誌に何度も掲載された。

売れない時代の曲「無国籍ロマンス」は、テレビの放送終了前の番組「歌う天気予報」(今で言うプロモーションビデオの上に、天気予報の字幕を流すだけの番組)でよく流れていた。同じく売れなかった「リビアンの風恋してカリビア」は、西武の秋山幸二選手の応援歌に採用され、今でも高校野球などで、ブラスバンドがよく演奏している。

私がナマの荻野目を初めて見たのは、1986年、東京・池袋サンシャインシティで行なわれた新曲発表会。そのときにファンになり、89年ごろまでライブやイベントによく足を運んだ。茨城・筑波サーキットでのスペシャルライブや、筑波大学での学園祭などが印象に残っている。

90年代に入り、荻野目はNHK「凛凛と」などのドラマ、フジテレビ「ウゴウゴルーガ」などのバラエティに出演。

2001年に荻野目は”できちゃった結婚”。しばらく休業していたが、今日発売のミニアルバムから本格的な歌手活動を再開する様子。明日のフジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」の”食わず嫌い”にも出演する。

荻野目ととんねるずといえば、”した”の前身「とんねるずのみなさんのおかげです」でよくやっていたコント”貧乏家の人々”での共演が強烈な印象。またいつか見たいものです。

VOICE NOVA 荻野目洋子

(23日、一部訂正しました)

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